双月堂 --- SOUGETSUDO

Web Gallery in U.S.A

12.19.2004

Fallen leaves symphony


やっと名前が決まりました!
この写真についてはいろいろなところから反響がありました。見る側がどう感じるかとても勉強になりました。師匠がよく使う言葉で「無責任な写真」という言葉があります。これは撮った自分にしか分からない写真という意。要するに見てほしいなら見る相手のことを考え、客観的になりなさいということだと理解しています。お料理するときも自分ひとりで食べるために作るのと、誰かに食べさせるために作るのとでは大違い。気持ちの入れ方が違います。これを「愛情を込める」などと形容しますが、自分を表現するときもきっと同じなんですね。主張するなら「相手を思いやる」気持ちを忘れずに。生きていくうえでも大切なことだと思います。

12.13.2004

Brightness of a grove


この写真は前回のThe way to a shrineと同じ場所で撮ったもの。個人的にはこの写真、カラーよりもモノクロが好きです。ですが骨が折れました。彩度を無くすだけだとコントラストが付きすぎる。コントラストを保ったままだと陽射しのシャープさが出ない。結局部分的に補正です。
ですが写真をそこまで触るのは好きじゃないので、半年前の私だったらしませんでした。ですがあるとき、ある写真店のおやじさんと話をしたのです。デジタルに否定的なおやじさんですが、銀塩を知らない私にたくさんのことを教えてくれました。その中から掴み取ったのは、写真を現像するときにどこまで編集しているかということ。私が葛藤していたのはそこのところなんです。多分これは暗室で現像したことのある人だったら分かるはず。
時々、フィルムしてる人に言われます。
「デジタルは編集できるからいいよね」
なら言わせていただきたい。
「暗室で現像したことありますか?私もないけど、そのしんどさがちょっとだけ分かるんです。」
(写真は日本名「参道の朝」。ちなみに英語名はかなり妥協の産物です)

12.04.2004

The way to a shrine


このブログへ投稿している写真は師匠の「お墨付き」ばかりです。
ですが中には、勝手に「お墨付き」と勘違いしているものもあるかもしれません。

ある人にこういわれたことがあります。
「良い指導者は多くを語らない」

私の師匠は、写真の上達の秘訣として「たくさん撮ること」を挙げます。構図がどうの露出がどうのはほとんど語らず、撮った写真を見てもなんだか良く分からないニュアンスで批評をしてくれるので、最初は「この写真のどこがいけないのでしょう?」と聞いてしまったことがあります。そのときの師匠の困った顔が今でも忘れられません。

私にはもうひとり、楽器の師匠がいます。この人も弾き方のコツについてたずねると「トータル的なもの」とおっしゃる。これもなんだかよくわからない。これでうまく弾けるようになるのかな?と思いながらそろそろ3年経ちます。ところがそのトータル的なものが分かってきたのです。それが何かと聞かれてもうまく言えない。例えて言うなら「全身が楽器になる」といったところでしょうか。師匠は「楽器の弾き方」を教えてくれているのではなく、「音楽の奏で方」を教えてくれているのです。
写真の師匠も同じです。写真の「撮り方」ではなく「心」を教えてくれているということに最近やっと気がつきました。
ですから、写真を見てもらうときは気合が入ります。全身全霊で師匠の言葉に耳を傾けます。言葉のニュアンスで「心」を感じ取るのです。 (写真は日本名「参道の秋」)