Rings of a house
年末年始をはさんでの久しぶりのアップロードです。
最近師匠は辛口コメントです。これも褒められたわけではありませんが、そんなことに拘っていると更新ができないことに気がつきました。これからはちょっと基準を甘くします。この写真はボケ具合と色が良いと言われたと勝手に解釈しています。
年末に300枚の写真展を見に行きました。途中から頭が痛くなって、おわりごろ吐き気がしました。どうしようもなくて近くの絵画展を見たらなんだかホッとしました。自分が写真を撮っているからこそ、撮った人の立場になって理解したいと思います。タイトルと写真を見比べて状況を推測したりします。でも300人はきつすぎます。見てると頭がおかしくなります。どうしてあんなにたくさん展示するの?見る人がつかれるだけじゃん!て、いつも思います。 私はあの中に自分の写真を入れたいのか....写真ていったい何なのか.....考えると写真が嫌いになりそうです。
小さな個展が好きです。その人を理解しようとできるから。 (写真は邦題「手擦り」)


2 Comments:
おぉ、辛口コメントですか?それは、内容が充実してきた何よりの証拠。
リアリスティックな画像・映像をたくさん見るのは疲れますね。デフォルメされたり、イメージを考えられる余地が与えられたものは、情報が適度に「間引き」されていて、人間のアナログな頭脳には程よいのかも。
音楽も写真も絵画もおんなじ。過ぎたるは及ばざるが如し。いずれも本来はみんなでやるものじゃぁないです。音楽教室の発表会だってそうです。メトロポリタン美術館で中世から現代までの絵画を一日見ていたら疲れます。ゆりまるさんの作品は、背景を感じさせる、考えさせる仕掛けがあってとってもおもしろい。一般的に写真の世界の人は、そのことよりも、構図やバランス感覚を持って作品を評価する傾向が強いですね。何故なら、写真の持つリアリティーと、自分の感性のバランスを常に考えようとするからだと思います。画家は、リアリティーをイマジネーションに込めようとしますから、写真家のそれとは対極的になるのだと思います。しかし、写真とはこうあるべきというルールなぞあるはずもなく、むしろそれを打破することの方が意義深いのではないかと思います。音楽の世界でも同様のことが言えます。
ゆりまるさん、「発表会」ではなくて「コンサート」を「鑑賞」なさいませ。多勢で楽しくやっている姿ではなくて、作者と対象物が一対一で向き合った作品をゆっくり時間をかけて味わうことが大事です。
小さな個展のほうが好きなの、よくわかります。
上手下手ではなく、作者の意気が伝わるからです。
この「手摺り」を拝見しての感想・・・・
どこかひとつアクセントが欲しいような・・・・
・・・・・あっちゃぁー、甘辛になっちゃった?!
そうなんです。実は師匠のニュアンスもそんな感じでした。「中央のキズが...ドウトカコウトカ...」。最近は第一声で結果が分かってしまいます。表情なんて見たら批評を聞く前に分かってしまうから、お顔は見ないようにしています。というより、見せる前から本当は分かっているのかもしれません。
写真展の見方ですが、これも師匠に聞いてみました。「あんなに展示したら見る人が疲れないのでしょうか」師いわく「疲れるでしょうねぇ。あなたは自分に合った写真を見つける位の気持ちで見たらどうでしょうか」とのこと。
自分なりに解釈すれば、すれ違う人間の言い分を全て理解しようとしてるのと同じことですから疲れるはずです。最近は観るもの聴くもの全て吸収しようと貪欲になり過ぎていた感もあります。もう少し力を抜い他方が良さそうですね。
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